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明日、蹴れ。(裏)

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平常心を保つということ

 国、民族・宗教の違いなど、あらゆる属性を越えて、肉体と精神だけを武器に戦えるのがスポーツだ。アスリートは少なくともそう思っていると信じたい。しかし、日本対中国、日本対韓国、日本対北朝鮮にも見られるように、観戦する側は色んな思いを置き去りにしたまま応援することはできないようだ。
 W杯予選のセルビア・モンテネグロVSボスニア・ヘルツェゴビナも例外ではない。軍隊が出動するというものものしい雰囲気の中で行われたと報道された。「民族浄化」の名の元に勃発したボスニア戦争は今年で戦後10年を迎えたが、人々の中ではまだ終わっていないのだろう。試合後、観客席で椅子を投げ合うサポーターの姿が映し出されていた。

 サッカーを通じてそういった世界を少しずつ見るようになったが、以前は映画の世界でボスニア戦争を観ていた。『ボスニア』『パーフェクト・サークル』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』『アンダーグラウンド』など、戦後2~3年の間に、ボスニア戦争を題材にした映画がたくさん制作された。先日は、『ライフ・イズ・ミラクル』を観た。これは、セルビア人男性と捕虜のムスリム人女性が恋に落ちるという実話を元に制作された、現代版『ロミオとジュリエット』といわれている。
 戦争が起こるまで宗教や民族の違いなど気にせずに付き合っていた隣人が、ある日突然、敵になってしまうという悲劇は色んな“ボスニア映画”で語られているが、本作はまるで「恋愛童話」の世界観が繰り広げられているようだった。
 戦争真っ只中でもなお美しい牧歌的な風景や、恋に破れた自殺願望のあるロバと食いしん坊のネコ、表情豊かなイヌたちは、現実の厳しさから解放してくれる存在だ。豊かな自然、そして愛嬌ある動物たちが登場すれば、どのシーンも幸せで満たされる。

 クストリッツァ監督の「愛は人間にとって最も強力なモチベーションになる」との言葉通り、確かにこの作品では、セルビアのロミオとジュリエットの物語を軸に展開していた。が、そこに人間味を感じなかったのは、童話として観てしまった観客にも否があるのだろう。 
 ただ、主人公の男性の息子が出場したサッカー場のシーンは、悪い意味でひどく人間臭い。ゴールキーパーに少年たちがいたずらをしたことをきっかけにスタジアムで乱闘が始まる。誰かがケンカをはじめると、理由もなく暴れたくなるという集団心理が働き、興奮絶頂に達したサポーターは暴徒と化していく。
 それでも、戦争に比べればむしろ平和的なシーンに思え、映画のエッセンスとして捉えていた。しかし一方で、人というものは、いとも簡単に平常心を失ってしまうものだ、とも思った。そしてそれは、戦争の引き金になることもあれば、サッカー場という日常的な場所で思わぬ悲劇を招くこともある。

 昨日の柏対浦和戦の話だ。大好きなサッカーの試合でケガ人が出たことはとてもショックだった。前半早々、明神選手が退場し、後半に波戸選手も退場させられてしまった。
 4失点を喫した挙句、たちまち手薄になった守備を固めようという焦りや主審に対する苛立ちから、土屋選手は平常心を失ってしまったのだろう。左サイドでボールをキープした田中達選手に激しく当たり、ケガをさせてしまった。
 東アジア選手権で故障した腰も癒え、優勝を狙う浦和のストライカーとして活躍していただけに、キャリアを中断せざるを得ない本人の悔しさは察するに余りある。浦和の選手やサポーターの方々もまた、同じ気持ちだろう。それでも浦和の選手たちは、冷静に最後まで試合を続け、時に気持ちの折れてしまった柏の選手の背中をポンポン、と叩いてくれた。その姿に勇気付けられ、さらに田中達選手のメッセージに救われた気がした。
 
 担架で担ぎ出される田中選手を、土屋選手は青ざめ、呆然として見送っていた。その表情から故意にしたわけではないと信じている。しかし、彼のあのプレイは平常心を著しく欠いていたのではないか。そのような状態でプレイをすれば、今回のようにケガ人を出してしかねないし、ケガをさせてしまった選手はそれ以上に心を痛めることになる。以前、柏の選手がプレイ中は平常心を保つよう心がけている、と言っていたが、それはよいプレイをするためだけではなく、こういったことを引き起こさないためでもあるのだろうと思った。
 とにかく、2度とこんなことが起こらないように願うばかりである。そして、田中達選手には、1日も早くピッチに戻ってきてほしい。
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2005-10-17 | 雑記 |  cm : 3  |  tb : 0

Comment

本試合のセルビア・ボスニアの関係については、マスコミや当地の多くの人間が危惧していたことが、まあ、フーリガン的熱狂をもって、実際に目立って行われちゃったわけですけども、僕はいま、まったく違うことを考えてます。これはオプティミスムですが、むしろまだまだうわべの名のもとの友好に、一時の亀裂を入れた鬱憤ではないかと。大会が祝祭と考えるなら、そうしたはけ口は彼らにとってむしろ自然・純粋な反応なわけで、その役目をこの試合は果たしたという、現状認識のみならず、サッカーによる祝祭の(つってもデュオニソス的だけど)神々しい瞬間だったのではないかと。あの暴動ぶりは。祝祭のなかで炸裂したものは大方日常生活のなかで徐々に憎しみなんてものはうすめられていくもんだという自論をもつ僕としては、むしろこの暴動は嬉しかったんですね。だから、

>「民族浄化」の名の元に勃発したボスニア戦争は今年で戦後10年を迎えたが、人々の中ではまだ終わっていないのだろう。

とジャーナリスティックにみるよりも、これから両国がサッカーという祝祭を通して、どんな有様を僕らにみせるのか。やや、一般論になりつつも、こんな感じでいま見ていますね。

2006-01-03 | まるも #- | URL|[ 編集 ]

ご無沙汰してます。お元気ですか。

ああ、なるほどなぁ、なんてうんうん、うなずきながら読ませていただきました。

>祝祭のなかで炸裂したものは大方日常生活のなかで徐々に憎しみなんてものはうすめられていくもんだ

そうであることを願います。
復興は遅れているそうですが、そこで暮らす人々が前を向いて歩けますよう。

2006-01-03 | イモト #- | URL|[ 編集 ]

そうえいば名前がimotoさんだったんですね。明日 蹴れは気づいていたんだけど。ではでは~

2006-01-03 | まるも #- | URL|[ 編集 ]

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